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2013

ワクワクwellness通信

2013年

2013.12.25<究極の身体への傾向と対策>

『気育』とは、生きる根源であり、自由勝手に働いている、(①     )の身体に働きかける教育です。それによって、頭脳を含めた身体全体の(②     )を育むのです。つまり、頭脳と身体、いいかえれば、メンタルとフィジカルのバランスをとり、より人間としての能力を広げようというのが『気育』の真髄です

自由勝手にいきいきと動く事のできる身体が養成できれば、同時に、その生命力あふれる身体がもつ、様々な感性、直感を磨き上げることができるのです。
『(③    )』とは、生命エネルギーを増大させ、その生命エネルギーを身体の知恵として実際に様々な形で生かし、活用する教育だといえましょう。

①細胞レベル ②バランス ③気育

生きるパワー西野流呼吸法 著:西野 皓三

2013.11.05<究極の身体への傾向と対策>

「あたま」と「こころ」と呼ばれている二つの言葉について考えてみる必要がある。これは、私たちのいわゆる「精神」を支える二本の柱ともいわれていますが、この両者は、いかにも対照的です。
「切れるあたま」とは言うが、(①      )とは言わない。また「温かいこころ」はあっても「温かいあたま」はない。
つまり前者の「あたま」というのは、判断とか行為といった世界に君臨するのに対して、後者の「こころ」は、(②       )といった心情の世界を形成する
一言でいえば、あたまは考えるもの、そしてこころは感じるものという事です

さて、ここで大切な問題がでてきます。それはこのアタマといいココロといい、これは私たち祖先が、遠い遠い上古代の昔から、ずっと用い続けてきた日常の事がですが、あの大陸から漢字というものが入ってきた時、どうしてこれらに「頭」「心」の二字が当てられたか という問題です。
アタマと言えば脳ミソ、ココロと言えば心臓というのが、かれらにとっての(③     )な実感だったに違いない。こういう自然発生的な、そして時の重みに堪えてきた事実というものには、やはりなんと言っても真実が含まれている

①「切れるこころ」 ②感応とか共鳴 ③肉体的

内臓のはたらきと子どものこころ増補新装版   著:三木成夫

2013.10.15<究極の身体への傾向と対策>

さてここであらためて、いま申しました「体壁系」と「内臓系」のそのものの関係を考えてみなければならない。それは、生命の主人公は、あくまでも食と性を営む(①     )で、感覚と運動にたずさわる体壁系は、文字通り(②     )に過ぎない、という事です。つまり内臓系と体壁系は本末の関係にあるわけです。ところが私どもの日常を振り返ってみますと、目につきやすい体壁系にばかり注意が注がれ、いわば前端の顔しか見せない内臓系の方は、ついおろそかにされているのが現状のようです。まさに本末転倒ですね・・・・。そしてこのことは、後で詳しく述べますが、この両者を代表する、いわゆる「頭」と「心」の関係についてもいえるのです

本日のテーマとして、この「内臓系」を取り上げたのは、じつは、こうしたひとつの大きな傾向に対する反省の意味が込められていることは申すまでもありません。(③      )の見直し、というより「内臓の復興」を改めて皆さん方に訴えているわけです。そしてこの復興が、じつはそのまま、「心情の涵養」につながる・・・・・。

①内臓系 ②手足 ③『はらわた』

内臓のはたらきと子どものこころ増補新装版    著:三木成夫

2013.09.15<究極の身体への傾向と対策>

では、いかに相手の心を導くか。私はこの問題を考えているうちに、心身(①   )こそ、合氣道の根本であることを悟った。相手の心を導くには、まず自分の心を(②    )できなければならない。自分の心をコントロールできずに、真に相手の心をコントロールすることなどできるわけがないからだ。
合氣道とは、「天地の氣に合する道」でなければならない。だが、天地の氣に合するには、まず天地より与えられた、(③    )を統一させなければならない。心と体がバラバラではどうして天地と一体になれるか。心身統一を土台にして、初めて真の合氣道となるのである

①統一  ②コントロール  ③心と体

                                               「気」の威力   著:藤平光一 

2013.08.11<究極の身体への傾向と対策>

皮膚感覚は「生きていくために」きわめて重要な役割をもっているといえよう。赤ん坊の頃は(①     )を支え、親子の慈愛に満ちた(②     )の基盤を築く。

成人後はそれを礎として対人関係を広め、またそれを見極めるアンテナとしてもはたらいている。そして生殖のための性感もまた、(③     )なしには感じられないものである

①未熟な生命 ②人間関係 ③皮膚感覚

                                               皮膚感覚の不思議 著:山口 創

2013.07.11<究極の身体への傾向と対策>

当時、私は新宿の人ごみに出て、(①    )練習をしていた。氣を出して歩くと、不思議に人はみんなよける。ところが氣を抜くと、とたんに人がぶつかってくる。もちろん雑踏だから、ぶつからないほうが不自然なのだが、とたんに使い分けるときちんと(②   )も出る。

こういう体験も、私に(③    )という事を教えてくれるいい教材となった。

①氣を出す ②結果 ③氣の実在

                              中村天風と植芝盛平気の確立 中村天風と植芝盛平   著:藤平光一

2013.06.18<究極の身体への傾向と対策>

本当にリラックスすると、実は(①   )強くなる。しかし、筋肉を鍛えている人は、(②    )にしか力が入らない。
リラックスするという事は、人間の(③    )を引き出す。もし、誰かが私にぶつかってきたら、私は瞬時にして鉄の塊になって跳ね飛ばすことができる。だから空手ぐらいでは、私には効かないのだ。

①全身が ②部分的 ③総合力

                              中村天風と植芝盛平気の確立 中村天風と植芝盛平   著:藤平光一

2013.05.18<究極の身体への傾向と対策>

舌は下顎骨の内部に付着しており、下あごの上部にかぶさるようにして位置する、下あごの(①     )上に存在する強大な筋肉です。この舌を強く(②     )ことで、自然と下あごも引き上げられ、安定した状態になります。

舌の挙上が下あごの安定性をたもち、よって(③    )の重力バランスがつりあうことによって、正しい姿勢を保つことができる、という結果が導き出されました。(図8)
これが正しい舌の位置になるのです。いわゆる舌の挙上の重要性が、ここに示されたことになります

①重心線 ②引き上げる ③頭部

舌は下ではなく上に  著:宗廣 素徳

2013.04.28<究極の身体への傾向と対策>

チータやエリマキトカゲはどうしてそんなに速く走れるのでしょう。チータが走る姿をスロー映像で観察すれば、すぐにわかります。スリムでしなやかな胴体が、魚が泳ぐときのようにうねっている。(①  )が波打っている様子までわかります。

肋骨の一本一本が蛇腹のようにずれ動き、(②   )はものすごい速さで回転運動をしています。「ゆるゆる」を通り越して、「ぐちゃぐちゃ」になるくらい、身体を(③    )走っているのです。

①肋骨  ② 肩甲骨 ③ゆるませて

「ゆる」身体・脳革命  著:高岡英夫

2013.03.28<究極の身体への傾向と対策>

遊びというのはちょっとした工夫や思いつきで可能になる。それは、あくまで自分が積極的に考えたり、動くことで成り立つものである。
一方、(①     )は金さえかければたいして努力しなくても楽しめる。それゆえ、遊びより受け身である。だから、道楽を楽しむようになると(②      )をつくりだす感覚は衰えていく。「道楽に走ると本質的な遊びを忘れてしまう」という逆説が生まれるのだ。

「遊びをせんと生まれけむ」という古い歌があるが、人はまさに遊びをするために生まれてきていると私は思う。
遊びを忘れた男は悲しい存在だ。
男は道楽なんてわざわざしなくてもいい

①道楽 ②遊び

男の器  著:桜井 章一

2013.02.11<究極の身体への傾向と対策>

皮膚はなぜこのような能力をひめているのだろうか。それは皮膚と脳の(①    )の過程を考えると納得できるだろう。受精卵が卵割を繰り返して胞胚期といわれる時期があるが、この時細胞は3層の構造にわかれている。外胚葉、中胚葉、内胚葉という。それらの層は次第に分化して、いろいろな器官にわかれていくのだが、皮膚と脳は(②   )外胚葉に由来するのだ。

脳が無い生物は現在でも非常に多いが、皮膚が無い生物はいない。皮膚は脳ができるはるか以前に、生物の発生の初期に脳に匹敵する(③     )を備えていたのである

①発生 ②同じ ③情報処理機能

手の治癒力 -山口 創-

2013.01.09<究極の身体への傾向と対策>

僕たちは生まれてから死ぬまで毎日、確実に年をとっていきます。当たり前のように(①      )を使って息をして、ご飯を食べていますが、間違いなくからだは(②     )なっていきます。それが老いるということです。それを止めることはできないけれども、その時、自分のからだをどのように使っていくかは自分で決めることができます。

つまり「浪費するようにからだを使う」か「磨きながら使っていく」か。消耗品である道具のように毎日取り扱っていたら、傷んでしまうのは当たり前です。酷使したり、投げやりに使っていれば、道具にとっても良くないのは自明の事です

①からだ ②古く

からだと心の対話術 -近藤 良平-